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はじめまして。とみーがお世話になっています。

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 とみーがいつもお世話になっています。とみーの父です。とみーが文化祭の準備に専念したいということと、部活の九州旅行の話が一段落ついたということで、ピンチヒッターを頼まれました。とみーが戻ってくるまで、しばらくおつきあいしていただければ幸いに存じます。
 私は、とみーと違って、鉄道の趣味はありません。ですから、もしかすると、いや間違いなく、とみーのピンチヒッターは勤まらないかもしれませんが、よろしくお願い致します。
 
 いきなりですが、今日は香港に住んでたときの話をしてみたいと思います。我が家が香港に住んでいたのは1996年から1998年にかけてです。香港は1997年の7月1日にイギリスから中国に返還されました。ちょうど香港がイギリスから中国に返還されたその瞬間に立ち会うことができました。私は、返還のその日のことをはっきりと今でも覚えています。返還のその日の午前0時ちょうどに、香港と中国の国境から、中国陸軍の軍隊が列をなして、香港内に入ってきました。といっても、それを生でみたわけではなく、テレビでみました。その時、なるほど国の主権が変わるということは、軍隊が変わることなんだとはっきり認識しました。返還の当日の朝に、香港島のもともとイギリス軍が駐留していた基地に掲げられていた国旗が、ユニオンジャックから中国国旗に変わっているのをこの目で目撃しました。
 もともと中国の領土だった香港がなぜイギリス領になったのか。簡単に言えば、アヘン戦争(1840-42)で当時の中国の清朝が敗れ、南京条約で香港をイギリスに割譲することになったからでした。
通常「香港」と言う場合、九龍、香港島、新界の3つに分かれる地域の総称を指しますが、南京条約で割譲されたのはこのうち「香港島」のことであり、その対岸の九龍半島は含まれていませんでした。現在の九龍市街は1860年の天津条約で割譲され、また新界(九龍半島の大部分)は1898年に「租借」されています。「租借」とは期限付きで領土を割譲することで、この時には99年間という期限がつけられました。つまり、1997年の返還というのは、これに由来するわけで、 この際、香港島と九龍市街も一括して返還されることになりました。
 香港が、イギリスから中国に返還されて、何か変わったことがあったというと、我が家が日本に帰ってきた1998年頃の状況をいうと、実は、何も変わりませんでした。特に繁華街の取り締まりが厳しくなるということは一切ありませんでした。
 続きは、明日また、書いていこうと思います。
 

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